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挨拶




挨拶  あいさつ
「『挨拶』とは何か?それは『心を開いて相手に迫る』ということである」これは鈴木健二(元NHKアナウンサー)のことば。
 人と人とが対面して交わす言葉は、口先だけではなく全身であたらなくてはいけないのである。
「いってらっしゃい」には、これが永久の別れになるかもしれないから気をつけてね、という深い意味がある。
 吉田兼好の『徒然草』第三十一段に、その日降っていた雪のことをひとことも書かないような人の頼み事に耳を貸すつもりはないという返事が送られてきたということが書いてある。自分のことばかり考えて、心に余裕がなくなると、言葉はうわすべりになり、スキだらけになる。
 クルーザーのパーティーで、和服を着た女性が一人デッキに出て、星を眺めていた。
 それをみた友人の作家がさりげなく横に行って、何か話しかけていた。
 後で聞いた話によると、
「一緒にロマンチックしませんか」と言われたそうだ。
 作家の挨拶は一味違うと感心した。


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禅で、言葉などによって相手の急所をつく意に用いる。転じて、応答・返礼などの意味に用いられ、また、出会いや別れのときの親愛の言葉や動作のことを一般に挨拶というようになった。(岩波 仏教辞典/岩波書店より)
挨は「押す」、拶は「迫る」。禅問答で、お互いを切磋琢磨し、あるいは門下の僧の悟りの深さをはかるもの(一挨一拶)。

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生命  いのち



たった一度だけ光る灯火。
その色をどのような色にするか、
どのような輝きにするか、
どのくらいの長さにするかは自分で決めるもの。
はかないものであるから大事にしなければならず、尊いものである。

人間は、生まれでた瞬間から、死に向かって歩みはじめる。死ぬために、生き始める。そして生きるために食べ なくてはならない。なんという矛盾だろう。池波正太郎(作家 1923-1990)

美しく死ぬことはさほど難しいことではない、だが、美しく老いることは至難の業だ。
アンドレ・ジイド(フランスの作家 1869-1951)



「いつまでも若々しく美しく」が今も昔も変わらず、女性の理想。
 「すべてを捨て、墨染めの衣一枚」というのが男の生き方とは、今や昔の話か。

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もともと仏教では、人生を苦なるものとして、そこからの脱却を目的としたので、
煩悩の火が吹き消された「涅槃(ねはん)」を、絶対的平安の境地とされた。
また、輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方もあって、
いのちを有限のものとする考え方があまりなかったようだ。(参考:岩波仏教辞典)

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愛敬  あいきょう





愛敬  あいきょう
愛敬は、現在では愛嬌と書く
「男は度胸、女は愛嬌」ということわざは、
男女逆転した現代では通用しなくなっているのかもしれないと思う事柄に
遭遇することが多くなってきた。
ハンドバッグを持たせる女性、持つ男─そこになんの意味があるのだろうか。
つい先日、駅のホームで女が男の顔を引っぱたくシーンを目撃した。
20代半ばの、その女性は
「人前で怒鳴ることはないでしょう」
と男性に罵声を浴びせた。
人前で怒鳴る男を非難して、殴る女。
 見ているこちらには、まるでコントのようだった。
「本当の気持ちは、土壇場になって初めてわかるもの」
とは、知り合いの女性が言った言葉。
あのカップルはお互いの形相を見て、どう感じただろうか。

フランスの作家スタンダール(1783-1842)の言葉
自分が幸せになるためには、愛する人を幸せにすることを自分の喜び・幸せと思えることが大事なのではないでしょうか


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漢語では、父母や君主など目上の人に対して抱く心情。
仏教では、慈しみ敬うこと。仏・菩薩の優しく温和な相貎を愛敬相(あいぎょうそう)という。
日本では(愛)に重点が移って、「かわいらしいこと、愛らしく魅力的なこと」の意味で
用いられるようになった。愛嬌の字は、後に使われるようになったもの。(参考:岩波仏教辞典)

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覚悟 かくご




何か事態が悪化すると、来るなら来い、と最悪の場合を想定し、川を瀬にして構える。精神に小出しの消耗を避けるには適した戦法である。『家常茶飯』尾崎一雄著より

覚悟とは、危険な状態や好ましくない結果を予想し、それに対応できるよう心構えをすること。(大辞林 第二版より)

腹を据える(腹をくくる)も同義語か。
覚悟を決めること、観念することで、気持ちは楽になり、心が決まる。
この言葉で思いつくのが隆慶一郎の『死ぬことと見つけたり』(新潮文庫)である。
江戸・元禄時代の鍋島藩藩士、山本常朝が語った、武士道「葉隠」を元にした小説で、
覚悟を決めた人間の強さを描いている。
「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は、始末に困るが、そのような人でなければ、天下の偉業は成し遂げられない」と西郷隆盛は、山岡鉄舟を賞賛している。

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原語は、眠りからさめること、目覚めていることを意味する。(岩波 仏教辞典/岩波書店より)
覚も悟も「さとる」。真理を悟ること。悟りを開くこと。

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愛 あい

ai[1]


愛は、たがいを見つめ合うことにではなく、同じ行く手を共に見すえることにある。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(フランスの作家・操縦士 1900-1944 )



愛する相手に借りがある。いつもそう感じている人こそ、本当に愛しているのです。
ラルフ・W・リックマン(フランスの思想家)
  


仏教では愛=煩悩と捉えている。煩悩は仏教の教義の一つで、
身心を乱し、悩ませ、智慧を妨げる心の働き。
「人の心は変わるもの」
知り合いの女性の口癖が、重くのしかかる。
人の心が変わることは誰にも止められない。


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仏教用語では、「愛」は人間の最も根源的な欲望。
広くは「煩悩」、狭義では「貪欲」を表す。
愛を苦悩の源泉とし、苦悩から生まれる慈悲の心とする。
自分の苦悩を知る者が、他者の苦悩にも共感できるという考え方から
「慈悲」が究極の愛=「無縁の慈悲(平等に衆生を救おうとする仏の慈悲)」となる。
(参考:岩波仏教辞典)

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